東京ピアノ爆団 2ndリサイタル プレイバック No.4
「では、今夜の東京ピアノ爆団セカンドリサイタルの成功を祝って、、乾杯!」
Photo by Hirokazu Takahashi
ステージで乾杯の音頭を取り、再び10分間のDJタイム。そんな転換の時間はあっという間に過ぎ去り、僕は最後のピアニストを呼び込みステージを後にする。
ピアニストを待つ拍手の中、暗転したステージの奥から聴こえてくるハーモニカのような音。
ゆらゆらとステージの袖からは鍵盤ハーモニカを吹きながら黒い影が歩いてくる。
彼こそがこのリサイタルのトリを務めた高橋優介だった。
Photo by Souji Taniguchi
黒いシャツとスラックスの上に黒いパーカーという、これまた異様な出で立ち。
「あー良い曲だ。……これは失礼、わたくしピアニストの高橋優介と申します。以後お見知り置きを。」
ゆらゆらと吹いていた鍵盤ハーモニカをパタリと止め、軽くお辞儀した彼はポケットから颯爽とiPhoneを取り出す。
「えー、クラシック音楽史が誇る音楽の父、ヨハン、セバスティアン、バッハ、彼の手によって作られたー、えー、……あれ、これなんて読むんだっけ」
まさかのウィキペディアの朗読にフロア全体は笑い声で満ちていて、「頑張れー!」と冗談めかした掛け声が飛ぶ。そんな軽く楽しい雰囲気の中、あの曲は突然始まったんだ。
硬く冷たいハーモニーの流れから始まったその曲はJ.S.Bachのシャコンヌ(ブゾーニ編曲版)。
元々は無伴奏ヴァイオリンの為のバッハの変奏曲だけれど、それをピアニストのブゾーニがピアノ用に編曲した超絶技巧曲。
心の底辺を徐々に削り取られていくような、痛みを伴う変奏が続いたあとに、その世界は初めての明るみを見せ、長調で大らかに歌う旋律がそれまでに感じた痛みを和らげていく。
その後もこの曲は様々な表情や景色を僕らに見せてくれるのだけれど、もう僕には言葉に出来なかった。
Photo by Hirokazu Takahashi
フロアでピアニスト達の演奏を聴いている時は、主宰でもあるが故にお客さん達が自然に楽しめるようにと率先して掛け声や歓声を送っていた僕だけれど、その演奏には僕も言葉を失った。
一音も無駄にしたくない。
全ての音をこの心に飲み込みたい。
東京ピアノ爆団で初めての「静寂」が生まれた瞬間だった。
高橋優介は18歳で東京音楽コンクールで優勝し、その後数多くのプロオケと共演する凄腕の若手ピアニストであり、過去に2度協奏曲で共演した尊敬する同志であり、僕と同い年の友人だ。
そんな彼の、東京ピアノ爆団の枠を超えた演奏を前にして誰もが「音楽を聴きたい」という純粋な気持ちで、ピアノ以外の音を葬ったんだ。
熱演が終わった後の爆発的な歓声はもう言うまでも無い。
誰もが惜しみなく拍手を送っていた。
その中で再びマイクを持つ優介。
「フランスの大作曲家、モーリス・ラヴェル。
彼は授かったその命を生涯独身で貫きました。」
拍手がまだ鳴り止まない中唐突に始まる次の曲のMCに大歓声は大爆笑に変わる。今度は彼の手にiPhoneは無い。
「おや?……ただいま私の時計を確認したところ、この会場は今現在、1855年、ウィーンの宮廷にタイムスリップしてしまったようです。
皆さん天井をご覧ください!我々の真上には豪華なシャンデリアが、絢爛と輝いております。今夜ご来場頂いた皆様、是非私めと、ワルツでも踊りませんか?」
Photo by Hirokazu Takahashi
ミラーボールをシャンデリアに見立てた芝居仕立てのちょっとクサいMCに僕らは大いに笑い、拍手を送り、そのワルツが始まるのを心待ちにする。
ラヴェル作曲の「ラ・ヴァルス」。
ヴァルスとはフランス語で「ワルツ」の事で、音の魔術師と言われるラヴェルがウィンナーワルツをモチーフに作曲したワルツのパロディ。
低音がおどろおどろしく静かに轟きながら始まるこの曲、とても出だしはワルツには聴こえない。
低音の霧が全てを隠し、ワルツどころかなんの景色も見えない真っ暗のまま曲は進んでいく。
それでも少しずつ霧は薄れ始めてその切れ目から優雅な響きが聴こえ、遠くにはうっすらと舞踏会の灯が見え隠れしている。
しばらく経って霧は完全に消えて豪華絢爛なワルツが流れ、それをツマミにお酒を楽しむお客さん達。ああなんて素敵な時間の過ごし方なんだろう。心が洗われていく。
だが、今夜は東京ピアノ爆団のリサイタル。そのリサイタルがこのままお上品に終わるわけがなかった。
気持ちよくゆったり音楽を楽しむオーディエンスに突如殴りかかる力強い低音、その直後には尋常じゃない大量の音の粒が群れを成して僕らに向かって飛びかかってくる。
もはやそこにワルツの一定のリズムは無くて、狂瀾の中にひたすらに踊り狂う群衆が優介のピアノから溢れ出す。
Photo by Yukino Komatsu
「皆んな立とう!踊ろうぜ!」
僕は知らぬ間にフロアの最前列のど真ん中に飛び出してそう叫んでいた。
キラキラと輝く豪華なシャンデリア。今僕らの前で鳴り響いている音楽にそんなお上品な言葉は見当たらない。
その狂気にも似た舞踏を産む音楽はこの場の空気そのものをぐわっと動かし、操り、僕らの心を半ば強制的に踊らせてしまったんだ。
Photo by Aoi Mizuno
僕はお客さん達の手を取って立たせてまわる。
舞台はより一層明るくなって僕らの頭上には再びミラーボールがギラギラと回り出す。
長く続く緊張感に満ちたクレシェンドを全て乗り越え、ワルツは轟音の和音と共に、遂に頂点に達する。
その瞬間に湧き上がるフロアからの大歓声と拍手、収まることを知らないピアノの響きはさらなる快感を目指して最後までフロアを縦横無尽に駆け巡り続けた。
終演後、歓声はいつまでも一向に収まらない。
カーテンコールで再びヒョコッと舞台に現れる優介。あどけない笑顔で軽く会釈し、彼は再び鍵盤に優しく指を置いた。
アンコールに優介が弾き始めたその温かく美しい旋律は、イギリスの作曲家エルガーの「愛の挨拶」の即興アレンジ。
極限にまで熱狂した僕らの心を今度は優しさで包み込むような、そんな響きに目頭が熱くなった。
バッハに黙らされて、ラヴェルに熱狂させられて、そして今はエルガーに優しく包まれているだなんて、なんてドラマチックな30分間だった事だろう。
そんな優しい演奏が終わった後も、フロアからの拍手喝采は収まらない。今夜、この場におざなりな拍手なんてものは何処にも無くて、歓声を上げる皆んなの笑顔は本当に美しい限りだった。
こうして僕ら東京ピアノ爆団の本編は終わり、舞台にツルとタケルと優介、3人のピアニストが初めてが同時に揃った。
歓声が未だに響く中、3人は肩を並べてピアノに向かう。それぞれ3人の合計30本の指が鍵盤に置かれ、アンコールが始まろうとしていた。
続く。