第九の歌詞を超訳してみたらエモすぎた件。
なあ兄弟。こんな音じゃなくてさ、
一緒に気持ちよくこの喜びを歌おうぜ。
喜び。
それは、美しい神々の放つスパークと、楽園からの乙女。
僕たちは火を飲む覚悟で、その天上まで登ってやるよ。
時代に隔てられたもの達を、あなたの魔法が再び一つに束ねるところを見たいんだ。
そして僕らは全員、あなたの翼に優しく包まれて本当の兄弟になるんだ。
この賭けに乗っかった世界中の同士達、そして愛する人を見つけた君も、一緒に喜びを歌おうぜ。
そうだ!一人ぼっちの君もだよ、一緒に喜びを歌おうぜ。
そうすりゃ「卑屈な想い」なんてものは泣きながらどっかに行っちまうから。
大自然が喜びを飲み込んでいく。
善人も悪人も関係ねえ、皆んなその薔薇の跡を辿ってそこにいけ
その先で甘いキスと一杯のワイン、そして最強の友が君たちを待っている。
虫ケラにだって最高の喜びを!
だって、遂に天使が神の前に現れたんだから。
なんて心地良いんだ。
まるで太陽が空を縦横無尽に駆け回っているみたいな気分だよ。
なあ兄弟、君は自分の道を走れ!
そして勝利を得た英雄になるんだ。
それから抱き合おう。
そしてこのキスを世界中に届けるんだ。
星空の上には神がいる。
それを知って君たちはひれ伏すのかな?
そして世界は万物創造の神の存在を認めるのかな?
星空を見上げて探そう。
この上にこそ、僕らの喜びはあるのだから!
自分で書いてみて、ただひたすらゾクゾクする。
今、めっちゃ興奮してる。エモすぎる。
この歌の和訳なんてググれば死ぬほど出てくる訳だけれど、どれも直訳過ぎたり、古い言い回しが多くてそのまま読んでも意味が分かりづらいんだ。
だから自分なりの解釈で現代語に超訳してみたんだけれど、なんだこれは。。。
良い歌詞過ぎかよ。
美しさ100点、高揚感100点、心に響く度120点。
間違いなく最&高。
この詩は元々、18世紀のドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーが書いた「歓喜に寄せて」という詩なのだけれど、最初の一節、太字になっているところはベートーヴェン本人が付け加えた歌詞で、この一節こそベートーヴェンがこの曲に込めたメッセージそのものなんだと思う。
ベートーヴェンはこの詩に22歳の時に出会い、感激した。
そして54歳になり、ようやく彼はこの詩を自分の中に飲み込んで、彼の9つ目の交響曲として、詩に別の形で永遠の命を与えたんだ。
この詩はただベートーヴェンが音楽を付けただけの物ではなくて、ベートーヴェンという1人の男の人生を共に歩んできた彼の相棒のような存在だったのかも知れない。
そういえば、この夏にベートーヴェンの曲だけを演奏するオーケストラのコンサートがあるんだ。
僕らが今年立ち上げた新しい若手オーケストラの旗揚げ公演がそれだ。
「クラシックの入口を開くカギとなるオーケストラ」として、僕らは東京からクラシックをこれから若手代表として盛り上げていく訳だけれど、
音楽の新時代を切り拓いたパイオニアであり、何より生きるエネルギーに満ち溢れているベートーヴェンの音楽はそんな僕らの船出にもっとも相応しいと思っている。
今回はこの第九では無くて交響曲第3番「英雄」や、トリプル協奏曲(ピアノ、ヴァイオリン、チェロとオーケストラの協奏曲!)などを演奏するけれど、その曲たちにもベートーヴェンの生きるエネルギーは充分満ち溢れていて、それは21世紀の東京で毎日忙しく奔走している僕らにも絶対に響くメッセージ性を持っていると思うんだ。
そしてこれらの中期の作品を書いた時、ベートーヴェンは既にこの詩「歓喜に寄せて」に出会っていた訳で、ここに謳われるメッセージは僕らが今回演奏する作品の中にもきっと生きていると僕は信じている。