東京ピアノ爆団 2ndリサイタル プレイバック No.1
ちょうど1ヶ月の時間がポカンと空いてしまった。
いや、色々な事があったんだ。その色々は僕のこれからの人生の大きな宝になる色々で、このピア爆のプレイバックを終えた頃にはすぐにここに書くだろう。
早くそれを書きたくてしょうがないし、季節は既に葉桜を迎えているわけで、雪の日の回想を綴るのには既に充分季節外れになっている。
どれだけの人が未だにピア爆のプレイバックを読みたいと思ってくれているかは分からないけれど、これを書き切らないと僕は今のこの春の日々を心から満喫出来ない気もするので、桜の無いザルツブルクの少し淋しい春の夜にこれを急ぎ書いている。
それじゃあさくっとあの日に戻ろうか。
2017年2月9日
その日の吉祥寺は終日天気が悪かった。
朝からシトシトと降っていた雨は昼過ぎに湿っぽい雪に変わり、アスファルトにぶつかってはべちゃっべちゃっと下品な音をあげながら飛び跳ねては溶けていった。
その夜に繁華街から少しだけ外れた暗く寒い路地の立体駐車場の下に出来ていた地下へと続く行列。
行列の横には 東京ピアノ爆団 2ndリサイタルと書かれた看板。
吉祥寺の老舗のライブハウス、スターパインズカフェ。その夜は本当に幅広い層のお客さんが集まっていた。カップル、老夫婦、娘さんを連れた仕事帰りのお父さん、大学生っぽい若者のグループ、それと1人で来られた老若男女のお客さんも多かった。
地下に下ってライブハウスに入ると、天井が吹き抜けになった開放的な空間が現れる。
2階に分かれた客席と、どこからでも見渡せるステージにグランドピアノが一台。
Photo by Aoi Mizuno
フロアからの開演を待つ人たちの楽しそうな喧騒は楽屋にもよく響いていて、その音はとても心地よく僕らの緊張をすうっと高揚感に変えてくれていた。
20:10。10分押しのステージの袖にやけに厚着の衣装を着込んでスタンバイする。
フロアに流れる音楽がフェードアウトしてゆっくりと照明も消えて真っ暗になる。
お客さん達の喧騒もそれと一緒に消えていって空気が一気に冷たくなる。
1秒間が重たい。
その数秒の重量を愉しんでからステージへと歩き始めた。今日は指揮者や奏者としてではなく、DJとして、MCとして。
ステージの上手袖に設置された簡易DJブース。その手前、ピアノにぶつからないスレスレの所に置かれた椅子とテーブル。
今日のような冬の天気を思って震えて顔をコートに埋めてみせ、周りを見回して椅子を見つける。丈の長い外套とマフラーを畳んで椅子に掛けて座り、内ポケットから手帳、胸ポケットからペンを取り出す。
「拝啓 音楽の歴史を作ってきてくれた僕のヒーロー達。随分と時は流れ、21世紀が訪れてから16年が経つこの頃、そちら様におかれましては天国、か、地獄かは知らんけど、いかがお過ごしでしょうか」。
ペンを走らせる音と自分の声に合わせての小芝居から、2年目の東京ピアノ爆団、2ndリサイタルは静かに幕を開けた。
Photo by Hirokazu Takahashi
「あなた方には縁のなかったこの東の島国の日本で、現代の音響技術を導入して生きた自由な空間であなた方の音楽を楽しんで貰えるイベントを開催するに至りました。題して……」
ここで筆が止まる。
DJは考える。このイベントの名前を。
「ピアノ、で、東京? それからー、ライブハウス…んー。」
「あぁでも"爆"入れたいなあ」
所々でクスクスと笑いが起きている。
「爆、ピアニスト軍団。
あっ。
爆…団?、
東京ピアノ爆団?」
閃いた瞬間に鳴り響くドスンと思い金属音のSE。
鳴り始める「トーキョーピアノバクダン」というアテンションと赤く点滅するサイレン。
DJは突然の出来事に驚き困惑に満ちた顔で辺りを見回している。
金属音のSEは一定のリズムを刻み始め、遠くからドラムの16ビートが聴こえてくる。
ビートの音量は増していき、絶頂を抜けるとSEは、軽快な東京ピアノ爆団のテーマへと変貌する。
そのテーマを聴いて全てを理解したDJは椅子とテーブルを舞台脇に片付け、ピアノ椅子の位置を確認し、閉じたグランドピアノの蓋を開け、リサイタルの準備を始める。
因みにここで流れるピア爆のテーマ曲はクラシックをかすりもしないコテコテのエレクトロだ。
それはクラシカルDJの作るオープニングの後半へと繋がる。
2分ほどのテーマ曲が終わると同時に間髪入れずにDJが用意してきたエクスクルーシブ「Time Machine MIX」が流れ出す。
「21世紀の音楽から、18世紀の音楽まで、このTime Machine MIXで皆んなで戻っていきましょう!」
Photo by Hirokazu Takahashi
コテコテのエレクトロだったピア爆のテーマから、Robert Glasper Expeliment、fun.、上原ひろみ、Norah Johnes、Oasis、MJ、Queen、、一曲5秒くらいのペースでひたすら時代を遡っていく。60年代のElvisを越えて Sonny Rollinsのビバップなジャズ、20世紀前半のアメリカのミュージカルを越えて現れる近代、後期ロマン派のずっしりどっしりな交響楽や軽やかな舞曲。
Photo by Souji Taniguchi
時代はどんどん戻っていきベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトの"クラシック"へ辿り着く、そして最後にバッハのゴルドベルク変奏曲の主題が静かに気持ちよく空気に振動していく。
2017年から1742年までを6分間で駆け抜けたライブハウスのフロアには自然体でそれが当たり前のようにバッハが流れている。
「ジャンルなんてものは無くて、ただただ、どの時代でも音楽は音楽なんだ」。
さっきまで暴れていたDJの静かな言葉の前には"クラシック音楽"を身構えて聴くオーディエンスの姿はもはや見当たらない。
僕が求めていた空気はこの10分間のオープニングで出来上がった。このオープニングの構想は2ヶ月前から練っていて、この10分間の為の音源作りや稽古に多くの時間を費やしていた。
Photo by Souji Taniguchi
だからこそ本当に嬉しかった。楽しそうなお客さんの顏、顏、顏。それをしっかり見回して今日のイベントの成功を確信して僕は1人目のピアニスト、鶴久竜太を紹介して舞台を去った。
東京ピアノ爆団 2ndリサイタルを終えて
もうあれから一ヶ月が過ぎている。
今はふたたび日本から8000km以上はなれた欧州の夜の中で僕はiPhoneの画面をペタペタとさわって文字を入力し、拙い文章をつづっている訳だけれど、あの雪の夜の出来事が幻想じゃなくて現実だったってだけで今ここザルツブルクのまだ続く寒さにも目を瞑れる。
1ヶ月過ごした東京をはなれて1週間ほどが過ぎ、新しく始まった学期の中で新しい日々を必死に生きている。それでもあの夜の事を思わなかった日は1日もない。
今までに何度もその日に向けた思いをこのブログに書き殴ってきて、それを終えた今まとめの記事を書かなくちゃと焦りつつも、あの日を終えて僕の思いは言葉を通り越してしまった。思いに言葉を追いつかせることには時間がかかるみたいだ。
来場してくれた多くの人にもアツい思いの感想をたくさん頂いた。長文で思いを伝えてくれた人や、思いが強過ぎて朝まで電話でアツい感想を語ってくれた人までいて、終演後も上演中に引けず劣らずの刺激をたくさん受けて、常に僕の脳内はあの夜の事が反芻して、更に僕の思いは言語の概念を突き抜けていく。
そんな脳内万年リサイタルな日々もようやく落ち着いて物理的にも距離がはなれた今、これをようやく書き始める事が出来ている。
2017年2月9日、東京は吉祥寺のスターパインズカフェで催したライブハウスでのピアノリサイタル「東京ピアノ爆団 2ndリサイタル」。
Photo by Aoi Mizuno
それを終えての総括を、当日惜しくも来れなかった数万人のファンのためにも、あの雪の夜の吉祥寺で何が起こったのかを事細かに僕の主観だけれど、ゆっくり語っていきましょう。
Photo by Hirokazu Takahashi
そのうち動画のアーカイブが出るはずだから、とりあえず今は文章での東京ピアノ爆団の追体験にお付き合いくださいな。
東京ピアノ「爆団」
2月9日に開催する「東京ピアノ爆団」への思いを書き殴るシリーズの第3弾で最終回。
第三編「爆団」
まず爆団ってなんだ?って話になるけれど、確かにクラシカル音楽の団体名に「爆」なんて漢字が入る事はまず無いと思う。
だからこそコントラストがついて面白いとも思っているけれど、爆音だから爆団、みたいな安直な名前では無いんだ。
この「爆」には僕らの沢山の想いとそれに伴った血と涙と睡眠不足がたっぷり込められている。
(1人のピアニストは爆の字をつけるか否かで眠れない夜を過ごした。)
爆は音量ではなく感情の爆発
爆の一文字でWeblio和英辞典を引くとexclamation という単語が出てくる。この単語が表すところの「爆」は、感情の爆発や感嘆。
例えばジャズライブでアグレッシブなピアノソロに出会った時、
歪んだギターのクールなリフに身体が揺れた時、
僕らオーディエンスは立ち上がったり両手をあげたり、「いえーい!」とか「ふぅぅー!」とか自然に叫んでいたりすると思う。
そう、これ。これなんです。
これが「exclamation」。
これが僕ら爆団の持つ「爆」。
クラシカル音楽にだってクールなリフや最高のキメは沢山あって、僕はコンサートホールでそれに出会うといつも立ち上がって叫びたくなるのを堪えている。
声にならない声が表情に伝染して口が大きく開いて手で覆って誤魔化したり、涙が出たり。結局狭いシートの中で身体は揺れているんだけれどね。
Photo by Yukino Komatsu
東京ピアノ爆団のリサイタルではピアニスト達が創り上げるそんなモーメントを自由に堪能してもらいたい。
「ヤバい今のハーモニー超エモい」って思ったら「いえーい!」と叫び、「このビート感たまらない!」って感じたら思うように立ち上がって体を揺らせばいいと思う。
音楽から受け取った感情を抑えるなんて僕らが作る空間では一切必要無いから。音楽は元々はひたすらに自由なんだから。
19世紀の欧州は今よりずっと自由だった。フランツ・リストのリサイタルでは若い女性ファンが何人も失神し、ベートーヴェンの第九の初演では第2楽章の冒頭では歓声が上がりすぎて一時演奏が聴こえなくなった。
時に泣ける程に感傷的で、時に炎よりも熱い情熱がほとばしる、振れ幅の大きい感情豊かな音楽をしかめっ面で無動で聴く必要なんて何処にも無かったんだよ。受け取る僕らだって感情豊かに受け取っていいんだよ。
でも、僕らの感動の爆発が音の世界を妨げることが無いように爆団ではスピーカーを使う。皆んなが自由に楽しく踊れる音量でピアノの音が僕らの元に降ってくるように。
その降ってくる音と僕らの感情が触れ合って起こる化学反応を楽しむリサイタルが、東京ピアノ爆団のピアノリサイタル。ピアノが爆音で叫ぶんじゃない、ピアノに触れたあなたの心が叫ぶんだ。
Photo by Jumina Ito
それが、「東京ピアノ爆団」という名前に僕が込めた想いです。
きっと僕ら爆団は、「東京ピアノ感動の爆発起爆軍団」という事になるのかな。
因みに当爆団のピアニスト、三好駿はfacebookで「爆団の爆とはつまり愛である!!(要約)」との持論を展開していて、それもまた面白いので是非読んで見てほしい。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1638906526125105&id=100000173211157
色々と理論立てて語ってみたけれど、結局のところ十人十色ならぬ、十人十爆なんだ。それでいいんだ。
爆ぜるという現象は詰まるところ化学反応によって物質が変容するってこと。
人それぞれ爆の解釈が変容していっても良いんだと思う。
無理矢理な当てつけかも知れないけれど、リサイタルに遊びにきてくれた貴方や貴女が、貴方の、そして貴女の思う「爆」の解釈を見つけてくれたらそれでいいんじゃないかなあ、と思っています。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。
東京「ピアノ」爆団
東京ピアノ爆団への思いを書き殴る記事の第二編。
「ピアノ」
もしも世界で音楽家って存在があなた一人しかいなくなって、これからあなたが好きな楽器をひとつだけ選び、それを弾き続けるとしよう。
そうしたらあなたはどの楽器を選ぶ?
僕だったら、間違いなくピアノを選ぶ。
楽器の王様とも言われたりするこの楽器。
その由縁は色々とあるけれど、確かに1人で演奏する上でここまで奏者個人を表現できる楽器は他に無いと思う。
壮大でドラマチックな物語もロマンチックな詩も、語りたいことは基本的に全て表現出来る。それも、1人で。
Photo by Kotaro Yamamoto
このピアノの音の世界は他者の存在を許さない、まさに奏者がひとりで作り上げる世界で、その等身大な音楽に混じる人間臭さが僕は好きなのかもしれない。
勿論バンドやオーケストラや合唱も僕らにリアリティのあるエモーショナルな音の世界をいつも魅せてくれていて、もはや聴いている自分なんて小さな存在を忘れそうになったりもするけれど、それは演者側の複数人がその世界のパーツとなって作りあげる世界で、音に付随する人情とか、人間臭さみたいなものはあまり感じない。
オーケストラみたいな複数人の数えきれない感情が混ざり合った世界の色彩も物語も僕は好きだし、その世界が僕の専門であったりもするんだけどね。でもそればっかりが続くのはまるで、ずっと人混みの中で色んな人の話を聞いているみたいで聴く側もそれなりにエネルギーが必要なんだ。
その騒がしい世界に疲れて何も聴きたくなくなって、無音の部屋でベッドに寝転がったままでいる日もある。
でもそんな精神状態でも誰か1人が紡ぎだす別世界に心を浸したくなるような夜も確かにあって、時にはピアニストが静かに語る物語に微睡みの中で耳を傾け、時には彼の心に燃える炎で暖をとり、時には共に光を追いかけてみたくなるんだ。
ピアニストが大爆音でピアノを鳴り響かせるライブハウスは、まるでピアニストが作り出す別世界を増幅させたような異空間。その日そこに集まった人達はそれぞれにピアニストが作るその別世界に思いを馳せ、そして共有する。
Photo by Kotaro Yamamoto
例えば、夏の草原に誰かと寝転がって同じ星空を眺める時に湧き上がる微笑みのように、冬のコタツで大勢で鍋をつついて幸せを感じるように、ピアノが奏でる音の世界も誰かと一緒に共有出来たら、その幸せや感動もきっと増幅されてあなたの中に響いてくるのかもしれない。
それにこの日はタイプのまるで違うピアニストが3人出るからね、一夜で三つの世界を体験できる、きっと美味しい夜になると思う。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。
「東京」ピアノ爆団
3度に渡って書いていく「東京ピアノ爆団」についての記事の第1篇「東京」。
東京に限らずデカい街が僕は好きだ。
そこに住む人の数だけ文化があり物語があり、そしてその数だけの舞台がある。でも街はずっと地続きだから舞台の境界線はリンクしている。文化と文化の境界は次第に溶けあって、また面白い何かがそこから生まれてひとつの舞台を作る。そんな空間が溶け合って生まれるパワーこそ大都市の魅力のひとつだと思っている。
「東京」でピアノ爆団をやる理由も、この大都市の可能性に賭ける思いから来ているんだと思う。
・人と音楽をより近づける為に
・音楽の楽しみ方を広げる為に
・何より気持ちいい響きの為に
「ライブハウスでのピアノリサイタル」
こんなキャッチコピーと共に東京ピアノ爆団を立ち上げて今年で2年目。昨年2月の旗揚げ公演の1stリサイタルも今回と同じ吉祥寺はスターパインズカフェでの公演だった。大爆音で鳴り響く渾身のスクリャービンやドビュッシー、プロコフィエフを、ミラーボールが回る中で100人を越す老若男女のお客さん達と3人のピアニストが共有した。誰もが自然体でお酒を口にしながら音楽と共に揺れていた。
変にオシャレして眠気と闘いながら一音たりとも聴き逃すまいと臨戦態勢で臨む人は誰もいなくて、ただ僕らが鳴らす音を認めて受け入れてくれた。
これを東京でやる事に意味があるんだ。
輸入されてきた高級趣向の文化っていうのは難しい。本質より先に形式が邪魔をする。本場と呼ばれる欧州ではお国の文化だから勿論根付いているし、変なプライドも嫌悪感も無い。日本では敷居の高さや貴族的なイメージが先に来てしまうから、ちょっと興味を持ってる音楽ファンも「何から手をつけていいか分からない」状態になってしまう。
それを取っ払わないとこの国に俺の大好きな最高にクールで激エモなクラシック音楽の未来は無ぇ!!!って高校生だった蒼生少年は既に薄々思っていたんだよね。
そんな、ツンツンに髪の毛を重力に逆らわせ、「オレ指揮者になっからぁ」ってチャラそうに中指突っ立ててほざいてた蒼生少年は20歳を越えた青年になり、遂にその問題意識を行動に移し、ここ東京でそれを始めた訳だ。
様々な文化がリンクして新しい何かが日々生まれている東京。そこにやって来てまだ馴染めていない高飛車に見えちゃっている転校生のクラシック音楽ちゃん。実は喋ってみたら最高に面白いし、クールで楽しい奴だって事を証明する為に、僕は東京ピアノ爆団を作ったんだと思う。
その僕はピアニストではないのでDJをやるのだけれど、ステージでバカみたいに頭振って皆んなの笑い者になっても、この音楽を楽しんでくれる人が増えるのなら、誰かがこの音楽を知る入口になれるのなら、
俺は死ぬまでこの道化を演じ続けると思う。
この文化の新しい楽しみ方を発信するのはやっぱりこの街、東京がいいんだ。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。
こんな駄文を書き始める言い訳。
年が明けると同時に新しい何かを始めたくなるのは確かに人の性だとは思うけれど、こうして2017年が訪れたと同時にブログを立ち上げたりしてる自分はなんて陳腐な男なんだろう、なんて少し笑えてくる。
蒼生です。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
定型文はこれくらいにしておこう。次に何で僕がこれを書き始めたかって事だけれど、
別に何か特別に書きたいことがあった訳では無い。どちらかと言えば「ブログを始るのだから何か書こう」という本末転倒した思考の末のこの駄文なんだと思う。
いや、ただ文章が書きたかったんだ。
内容があるか無いかは最早どうでもよくて、文章を公に向けて書いて見たくなった。そんな、ちょっとした好奇心故というのが素直な感情。
だから、何を書くかは予想がつかない。
こんな感じの何の意味もない羅列で終わったと思ったら、次にはいきなり音楽について熱く語っているかもしれないし、きちんと日々の日記を付けるかもしれない。
とりあえず、2017っていうこの字体がやたらとクールな1年をより面白くしていきたいんだと思う。そんな今年に、より多くの人と繋がっていきたいんだと思う。
ここザルツブルクも既に1月2日になってしまったけれど、この残りの364日をずっと今日みたいなモチベーションで生きていけたらなあと思う。
そんな一年の始まりです。では、今年も1年間宜しくお願いします。
蒼生