蒼い日々の中で

オーストリア、ザルツブルクで指揮者になる修行中の水野蒼生が綴る散文たち。

東京ピアノ「爆団」

2月9日に開催する「東京ピアノ爆団」への思いを書き殴るシリーズの第3弾で最終回。

 

第三編「爆団」

 

まず爆団ってなんだ?って話になるけれど、確かにクラシカル音楽の団体名に「爆」なんて漢字が入る事はまず無いと思う。

だからこそコントラストがついて面白いとも思っているけれど、爆音だから爆団、みたいな安直な名前では無いんだ。

この「爆」には僕らの沢山の想いとそれに伴った血と涙と睡眠不足がたっぷり込められている。

(1人のピアニストは爆の字をつけるか否かで眠れない夜を過ごした。)

 

爆は音量ではなく感情の爆発

 

爆の一文字でWeblio和英辞典を引くとexclamation という単語が出てくる。この単語が表すところの「爆」は、感情の爆発や感嘆。

 

例えばジャズライブでアグレッシブなピアノソロに出会った時、

歪んだギターのクールなリフに身体が揺れた時、

僕らオーディエンスは立ち上がったり両手をあげたり、「いえーい!」とか「ふぅぅー!」とか自然に叫んでいたりすると思う。

 

そう、これ。これなんです。

 

これが「exclamation」。

 

これが僕ら爆団の持つ「爆」。

 

クラシカル音楽にだってクールなリフや最高のキメは沢山あって、僕はコンサートホールでそれに出会うといつも立ち上がって叫びたくなるのを堪えている。

声にならない声が表情に伝染して口が大きく開いて手で覆って誤魔化したり、涙が出たり。結局狭いシートの中で身体は揺れているんだけれどね。

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Photo by Yukino Komatsu

東京ピアノ爆団のリサイタルではピアニスト達が創り上げるそんなモーメントを自由に堪能してもらいたい。
「ヤバい今のハーモニー超エモい」って思ったら「いえーい!」と叫び、「このビート感たまらない!」って感じたら思うように立ち上がって体を揺らせばいいと思う。

 

音楽から受け取った感情を抑えるなんて僕らが作る空間では一切必要無いから。音楽は元々はひたすらに自由なんだから。

 

19世紀の欧州は今よりずっと自由だった。フランツ・リストのリサイタルでは若い女性ファンが何人も失神し、ベートーヴェンの第九の初演では第2楽章の冒頭では歓声が上がりすぎて一時演奏が聴こえなくなった。

 

時に泣ける程に感傷的で、時に炎よりも熱い情熱がほとばしる、振れ幅の大きい感情豊かな音楽をしかめっ面で無動で聴く必要なんて何処にも無かったんだよ。受け取る僕らだって感情豊かに受け取っていいんだよ。

 

でも、僕らの感動の爆発が音の世界を妨げることが無いように爆団ではスピーカーを使う。皆んなが自由に楽しく踊れる音量でピアノの音が僕らの元に降ってくるように。

 

その降ってくる音と僕らの感情が触れ合って起こる化学反応を楽しむリサイタルが、東京ピアノ爆団のピアノリサイタル。ピアノが爆音で叫ぶんじゃない、ピアノに触れたあなたの心が叫ぶんだ。

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Photo by Jumina Ito

それが、「東京ピアノ爆団」という名前に僕が込めた想いです。

きっと僕ら爆団は、「東京ピアノ感動の爆発起爆軍団」という事になるのかな。

 

因みに当爆団のピアニスト、三好駿はfacebookで「爆団の爆とはつまり愛である!!(要約)」との持論を展開していて、それもまた面白いので是非読んで見てほしい。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1638906526125105&id=100000173211157

 

色々と理論立てて語ってみたけれど、結局のところ十人十色ならぬ、十人十爆なんだ。それでいいんだ。

 

爆ぜるという現象は詰まるところ化学反応によって物質が変容するってこと。
人それぞれ爆の解釈が変容していっても良いんだと思う。

 

無理矢理な当てつけかも知れないけれど、リサイタルに遊びにきてくれた貴方や貴女が、貴方の、そして貴女の思う「爆」の解釈を見つけてくれたらそれでいいんじゃないかなあ、と思っています。

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東京ピアノ爆団2ndリサイタル

2017年2月9日 at スターパインズカフェ

詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。