東京ピアノ爆団 2ndリサイタル プレイバック No.3
転換中、ステージでDJ中の僕の前に広がるフロアは本当に明るい雰囲気で満ちていた。
所々で響く笑い声、ピアノの感想を語り合うカップル、お酒のお代わりを求める人々で奥のバーカウンターには楽しそうに歓談する長い行列が出来ていた。
そんな10分間はあっという間に過ぎ去り、そして始まるセカンドステージ。
「トーキョー!ピアノ、バクダーンへお越しの皆さま、、タケルだぁーー!!」
上のセリフはお調子者キャラの僕が発したものでは無く、三好駿本人の登場の際の一言。
長身で長髪のタケルは、何処で買ったんだとツッコミたくなるような生地全体がゴールドのシャツにグレーのベストという、ド派手な衣装を当たり前のように着こなして堂々舞台に現れた。
まだ舞台に現れただけだというのにタケルはオーディエンスの心をしっかり掴んでいて、お客さん達はその謎のゴールドマンから完全に目を離せなくなっている。
Photo by Hirokazu Takahashi
「見ての通り聞いての通りお喋りですので、東京ピアノ爆団で1番喋るキャラクターということで、去年は喋り過ぎた感があって、それで今年に関しては、もう逆に喋り倒してやろうと思っていまして、、えー、年も明けて……あっ、皆さまあけましておめでとうございます。もう2月になってしまいましたけども〜……」
楽しそうに喋り倒すタケル、このまま彼のお喋りは「ラプソディとはなんぞや」というテーマに変わりどんどんと展開されていく。
「なんか、ファンタジーなんだよね、形式に囚われていなくて好きなように物語が展開していくような」
「じゃあ弾きます。ヨハネス・ブラームスの2つのラプソディでございます。」
そうして舞台は暗転して真っ暗闇が生まれた。その暗闇に支配された張り詰めた空気の中、ステージ奥の壁がぼんやりと紅く照らされ、タケルの演奏は始まった。
さっきまでの陽気なお喋りの空気はどこへ行ったのだろう、暗闇を切り裂くような鋭利な高音から始まった1曲目のラプソディ。
その音楽は紅く照らされながら、思いもしない道筋を辿って展開していく。
Photo by Hirokazu Takahashi
それは確かにブラームスが書いたラプソディだ。だけれど、タケルの演奏は僕のよく知るそれとは完璧に違った音楽で、なんとも不思議な気分になった。
幾度となく現れるテーマは毎回その姿を変容させて彷徨い続けたまま終わりを迎える。
紅く光るステージがどんどん暗くなり、ふたたび暗闇が訪れると同時に一曲目が終わった。
その次の瞬間、今度は舞台が青く照らされ轟々と響く力強い低音と共にもう1つのラプソディが始まる。
一曲目が「暗闇を切り裂く鋭利な曲」なのだとしたら、この曲は「岩壁を飲み込む荒波のような曲」とでも言うのだろうか。
彼の演奏は自由そのものだった。ブラームスの譜面を超えた自由。
その場の空気、そしてピアニストの生きるような演奏。計算と解釈で作り込まれただけじゃない。
空気によって彼が揺さぶられた思い、この雪の夜の吉祥寺のスターパインズカフェの舞台という今ここにしかない生きた音楽を彼はブラームスを通して表現した。
その演奏は僕に疑問を与えた。
そして次の瞬間に僕はそんな疑問を覚えた事を恥ずかしく思った。
「ここは普通のピアノリサイタルじゃない、東京ピアノ爆団のリサイタルなんだ、音楽の楽しみ方を広げる為に僕が彼らと作り上げた空間じゃないか!あぁ俺はなんてつまらないクラシック野郎なんだ。」
自分で自分に言い聞かせた。
現に彼の弾くラプソディをお客さん達は一音も逃すまいと聴き入っていて、僕の中に入って来た疑問なんて如何に下らないかを思い知った。このラプソディだって確かに僕ら東京ピアノ爆団の存在意義のひとつで間違いなかった。
音楽の力の前に理論立てなんて通用しない。感動させてしまったなら音楽の勝ちだ。
きっと僕は彼の弾いたこのラプソディを一生忘れないだろう。その演奏後の拍手喝采の景色も。
Photo by Hirokazu Takahashi
タケルもまた僕の高校の先輩で、本気で音楽を愛する者同士で、また音楽を欧州で勉強したもの同士でもある。
実は東京ピアノ爆団を作ろうと僕が初めて声を掛けたのも彼で、快諾してくれた彼と僕の間に温度差が無かった事がこのイベントが成功した1つの理由だと思っている。
彼もまた新しい音楽の可能性をいつも探していたんだ。
その後に彼が弾いたドビュッシーの「喜びの島」では会場はダンスホールと化していて、回るミラーボールに彼の金色のシャツが反射して煌めいている。
フロアには立ち上がって聴くお客さんも増えてきて、音楽が絶頂に達する度にそこら中からピアニストに「Yeah‼︎」と掛け声が掛かる。
「恋しちゃってルンルンなんて、そんなモンじゃない!ドビュッシーがW不倫している時にその情事を書き取った音楽なんです。」
Photo by Hirokazu Takahashi
そんなインパクトのある内容のMCを聞いた後に、僕らはその、「W不倫の情事の音楽」で踊り揺れて感激している。
そんな事を考えたら面白くて仕方が無かったけれど、やっぱり音楽の力相手じゃ僕らは勝ち目なんか無いさ。
その曲の背景がなんだろうと、悔しいけれど感激して涙は出るし、自然と身体は踊り出してしまうのだから。
そんな音楽の力に支配されたまま、僕の身体は喝采が起きるまで揺れ続けていた。
この東京ピアノ爆団2ndリサイタルが更に劇的な夜になるなんて、この瞬間の僕には知るよしもなかった。
続く
東京ピアノ爆団 2ndリサイタル プレイバック No.2
「それじゃあ大きな拍手でお迎えください、鶴久竜太!」
鳴り響く歓声の中、ピアニストのツルはすうっと舞台に現れた。
その出で立ちは紺のスーツにワインレッドのネクタイというスマートなルックス、僕のような自己主張の激しいうるさい存在感はどこにも見当たらない、気持ちがいいほどの自然体だった。
そんな大人の落ち着いたカッコよさを醸し出す彼にその場を託し、僕は舞台を後にした。
彼の演奏を聴き逃すまいと急ぎ足で客席へと移動する舞台裏の廊下。
既に心地よいピアノの音は響き始ている。
フロアの扉を開けるとそこには僕がずっと夢みていた景色が広がっていた。
Photo by Souji Taniguchi
ぼんやりと心地良く青白い光が反射するステージにはグランドピアノが一台。ピアニストがバッハを弾いている。
そのピアノの音は頭上の2つの大きなスピーカーからライブハウスのフロアに響き、そこにいる100人を超えるお客さん達はお酒を片手に音を楽しんでいる。
バッハのフランス組曲の第6番から、アルマンド。
丁寧に滑らかに紡がれていく音の粒は僕らの心を潤していく。それは誰もが待ち望んでいた音だった。
泉に流れ込む湧き水のように、自然だけれどそこに存在することが奇跡のよう。その音の一粒一粒をずっと抱きしめていたくなるような優しさと温かさ。その全てが僕には本当に愛おしかったんだ。
インパクト勝負の僕のオープニングステージとは真逆で、ツルは音楽を自然にその場の全ての人に届けていた。
「えー、はい。本日はお足元の悪い中来て下さり本当にありがとうございます。」
バッハが終わりマイクを握ったツルは、本当に丁寧なMCを始めた。
彼の前に舞台上でバカみたいに暴れていた僕との対比にフロアからは笑いが起きて、和やかな雰囲気が生まれる。
「続きましてはドビュッシーのベルガマスク組曲をお送りします。」
Photo by Yukino Komatsu
そう彼が言うや否やフロアから上がる期待の歓声。
そして始まるベルガマスク組曲の第1曲「プレリュード」。
心地よい冷たさのドビュッシーの音楽は、予想もしないハーモニーの行き来で僕らを優しく酔わせるウィスキーのように、うす明かりのフロアに緩やかに流れ込んでくる。
心地よい気怠さを孕んだ舞曲「メヌエット」ですっかりドビュッシーの語り方に慣れた僕らは第3曲「月の光」へと向かった。
まさに月光の如く青くぼんやりと光るステージで、軽やかに空気に浸透していく「月の光」に聴き惚れるお客さんの前に、
一体どんな風景が広がっているのだろう?
一体どんな月の光を見上げているのだろう?
そんな事を思いながら僕はフロアの後ろの方で独りで気持ちよく揺れていた。
Photo by Hirokazu Takahashi
僕らは偶然この場に居合わせた百人超のオーディエンスと共にこの音楽を共有している訳だけれど、まるで独りで聴いているような、美しい淋しさを僕はほろ酔いで楽しんでいた。
彼の演奏は本当に誇張せず、そこにある音を丁寧に鳴らしていた。それは深呼吸したくなるような鮮度の良い音。
最後の一音まで常に紳士で、優しい彼の音のままで、それでいて軽やかな可愛さを見せた第4曲「パスピエ」が終わり、ツルのベルガマスク組曲は完成した。
わっと鳴り響く拍手と歓声。それに混ざってお客さん同士が乾杯するグラスのぶつかる音なんかも聴こえてくる。
「最後にピアノ爆団をイメージして一曲用意してきたので、それで最後にしたいと思います。今日はありがとうございました。」
爆団らしい曲。
そういって紹介された曲はカプースチンの即興曲だった。
ニコライ・カプースチンは20世紀のロシアで活躍した、ジャズとクラシックをミックスした作風が人気の未だ現役の作曲家。
Photo by Yukino Komatsu
ツルは僕の高校の先輩で、ジャズピアニストとしても活躍している。そんなクラシックとジャズを行き来する彼だからこそ映える一曲で、水を得た魚のようにアグレッシブなリズムの上で次々とジャジーな不協和音を奏でていく。
でもその曲はよく聴けば聴くほどにクラシックで、その緻密な構成はまるでプロコフィエフやストラヴィンスキーのような20世紀のロシア近代の音楽のそれと同じ空気を感じた。
最後までチャーミングで最高にクールだったその男は弾き終えると、フロアからの歓声に一礼し、颯爽と舞台裏に帰っていった。
こうして、東京ピアノ爆団2ndリサイタルの本編は最高にカッコよく始まったんだ。
続く。
東京ピアノ爆団 2ndリサイタル プレイバック No.1
ちょうど1ヶ月の時間がポカンと空いてしまった。
いや、色々な事があったんだ。その色々は僕のこれからの人生の大きな宝になる色々で、このピア爆のプレイバックを終えた頃にはすぐにここに書くだろう。
早くそれを書きたくてしょうがないし、季節は既に葉桜を迎えているわけで、雪の日の回想を綴るのには既に充分季節外れになっている。
どれだけの人が未だにピア爆のプレイバックを読みたいと思ってくれているかは分からないけれど、これを書き切らないと僕は今のこの春の日々を心から満喫出来ない気もするので、桜の無いザルツブルクの少し淋しい春の夜にこれを急ぎ書いている。
それじゃあさくっとあの日に戻ろうか。
2017年2月9日
その日の吉祥寺は終日天気が悪かった。
朝からシトシトと降っていた雨は昼過ぎに湿っぽい雪に変わり、アスファルトにぶつかってはべちゃっべちゃっと下品な音をあげながら飛び跳ねては溶けていった。
その夜に繁華街から少しだけ外れた暗く寒い路地の立体駐車場の下に出来ていた地下へと続く行列。
行列の横には 東京ピアノ爆団 2ndリサイタルと書かれた看板。
吉祥寺の老舗のライブハウス、スターパインズカフェ。その夜は本当に幅広い層のお客さんが集まっていた。カップル、老夫婦、娘さんを連れた仕事帰りのお父さん、大学生っぽい若者のグループ、それと1人で来られた老若男女のお客さんも多かった。
地下に下ってライブハウスに入ると、天井が吹き抜けになった開放的な空間が現れる。
2階に分かれた客席と、どこからでも見渡せるステージにグランドピアノが一台。
Photo by Aoi Mizuno
フロアからの開演を待つ人たちの楽しそうな喧騒は楽屋にもよく響いていて、その音はとても心地よく僕らの緊張をすうっと高揚感に変えてくれていた。
20:10。10分押しのステージの袖にやけに厚着の衣装を着込んでスタンバイする。
フロアに流れる音楽がフェードアウトしてゆっくりと照明も消えて真っ暗になる。
お客さん達の喧騒もそれと一緒に消えていって空気が一気に冷たくなる。
1秒間が重たい。
その数秒の重量を愉しんでからステージへと歩き始めた。今日は指揮者や奏者としてではなく、DJとして、MCとして。
ステージの上手袖に設置された簡易DJブース。その手前、ピアノにぶつからないスレスレの所に置かれた椅子とテーブル。
今日のような冬の天気を思って震えて顔をコートに埋めてみせ、周りを見回して椅子を見つける。丈の長い外套とマフラーを畳んで椅子に掛けて座り、内ポケットから手帳、胸ポケットからペンを取り出す。
「拝啓 音楽の歴史を作ってきてくれた僕のヒーロー達。随分と時は流れ、21世紀が訪れてから16年が経つこの頃、そちら様におかれましては天国、か、地獄かは知らんけど、いかがお過ごしでしょうか」。
ペンを走らせる音と自分の声に合わせての小芝居から、2年目の東京ピアノ爆団、2ndリサイタルは静かに幕を開けた。
Photo by Hirokazu Takahashi
「あなた方には縁のなかったこの東の島国の日本で、現代の音響技術を導入して生きた自由な空間であなた方の音楽を楽しんで貰えるイベントを開催するに至りました。題して……」
ここで筆が止まる。
DJは考える。このイベントの名前を。
「ピアノ、で、東京? それからー、ライブハウス…んー。」
「あぁでも"爆"入れたいなあ」
所々でクスクスと笑いが起きている。
「爆、ピアニスト軍団。
あっ。
爆…団?、
東京ピアノ爆団?」
閃いた瞬間に鳴り響くドスンと思い金属音のSE。
鳴り始める「トーキョーピアノバクダン」というアテンションと赤く点滅するサイレン。
DJは突然の出来事に驚き困惑に満ちた顔で辺りを見回している。
金属音のSEは一定のリズムを刻み始め、遠くからドラムの16ビートが聴こえてくる。
ビートの音量は増していき、絶頂を抜けるとSEは、軽快な東京ピアノ爆団のテーマへと変貌する。
そのテーマを聴いて全てを理解したDJは椅子とテーブルを舞台脇に片付け、ピアノ椅子の位置を確認し、閉じたグランドピアノの蓋を開け、リサイタルの準備を始める。
因みにここで流れるピア爆のテーマ曲はクラシックをかすりもしないコテコテのエレクトロだ。
それはクラシカルDJの作るオープニングの後半へと繋がる。
2分ほどのテーマ曲が終わると同時に間髪入れずにDJが用意してきたエクスクルーシブ「Time Machine MIX」が流れ出す。
「21世紀の音楽から、18世紀の音楽まで、このTime Machine MIXで皆んなで戻っていきましょう!」
Photo by Hirokazu Takahashi
コテコテのエレクトロだったピア爆のテーマから、Robert Glasper Expeliment、fun.、上原ひろみ、Norah Johnes、Oasis、MJ、Queen、、一曲5秒くらいのペースでひたすら時代を遡っていく。60年代のElvisを越えて Sonny Rollinsのビバップなジャズ、20世紀前半のアメリカのミュージカルを越えて現れる近代、後期ロマン派のずっしりどっしりな交響楽や軽やかな舞曲。
Photo by Souji Taniguchi
時代はどんどん戻っていきベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトの"クラシック"へ辿り着く、そして最後にバッハのゴルドベルク変奏曲の主題が静かに気持ちよく空気に振動していく。
2017年から1742年までを6分間で駆け抜けたライブハウスのフロアには自然体でそれが当たり前のようにバッハが流れている。
「ジャンルなんてものは無くて、ただただ、どの時代でも音楽は音楽なんだ」。
さっきまで暴れていたDJの静かな言葉の前には"クラシック音楽"を身構えて聴くオーディエンスの姿はもはや見当たらない。
僕が求めていた空気はこの10分間のオープニングで出来上がった。このオープニングの構想は2ヶ月前から練っていて、この10分間の為の音源作りや稽古に多くの時間を費やしていた。
Photo by Souji Taniguchi
だからこそ本当に嬉しかった。楽しそうなお客さんの顏、顏、顏。それをしっかり見回して今日のイベントの成功を確信して僕は1人目のピアニスト、鶴久竜太を紹介して舞台を去った。
東京ピアノ爆団 2ndリサイタルを終えて
もうあれから一ヶ月が過ぎている。
今はふたたび日本から8000km以上はなれた欧州の夜の中で僕はiPhoneの画面をペタペタとさわって文字を入力し、拙い文章をつづっている訳だけれど、あの雪の夜の出来事が幻想じゃなくて現実だったってだけで今ここザルツブルクのまだ続く寒さにも目を瞑れる。
1ヶ月過ごした東京をはなれて1週間ほどが過ぎ、新しく始まった学期の中で新しい日々を必死に生きている。それでもあの夜の事を思わなかった日は1日もない。
今までに何度もその日に向けた思いをこのブログに書き殴ってきて、それを終えた今まとめの記事を書かなくちゃと焦りつつも、あの日を終えて僕の思いは言葉を通り越してしまった。思いに言葉を追いつかせることには時間がかかるみたいだ。
来場してくれた多くの人にもアツい思いの感想をたくさん頂いた。長文で思いを伝えてくれた人や、思いが強過ぎて朝まで電話でアツい感想を語ってくれた人までいて、終演後も上演中に引けず劣らずの刺激をたくさん受けて、常に僕の脳内はあの夜の事が反芻して、更に僕の思いは言語の概念を突き抜けていく。
そんな脳内万年リサイタルな日々もようやく落ち着いて物理的にも距離がはなれた今、これをようやく書き始める事が出来ている。
2017年2月9日、東京は吉祥寺のスターパインズカフェで催したライブハウスでのピアノリサイタル「東京ピアノ爆団 2ndリサイタル」。
Photo by Aoi Mizuno
それを終えての総括を、当日惜しくも来れなかった数万人のファンのためにも、あの雪の夜の吉祥寺で何が起こったのかを事細かに僕の主観だけれど、ゆっくり語っていきましょう。
Photo by Hirokazu Takahashi
そのうち動画のアーカイブが出るはずだから、とりあえず今は文章での東京ピアノ爆団の追体験にお付き合いくださいな。
東京ピアノ「爆団」
2月9日に開催する「東京ピアノ爆団」への思いを書き殴るシリーズの第3弾で最終回。
第三編「爆団」
まず爆団ってなんだ?って話になるけれど、確かにクラシカル音楽の団体名に「爆」なんて漢字が入る事はまず無いと思う。
だからこそコントラストがついて面白いとも思っているけれど、爆音だから爆団、みたいな安直な名前では無いんだ。
この「爆」には僕らの沢山の想いとそれに伴った血と涙と睡眠不足がたっぷり込められている。
(1人のピアニストは爆の字をつけるか否かで眠れない夜を過ごした。)
爆は音量ではなく感情の爆発
爆の一文字でWeblio和英辞典を引くとexclamation という単語が出てくる。この単語が表すところの「爆」は、感情の爆発や感嘆。
例えばジャズライブでアグレッシブなピアノソロに出会った時、
歪んだギターのクールなリフに身体が揺れた時、
僕らオーディエンスは立ち上がったり両手をあげたり、「いえーい!」とか「ふぅぅー!」とか自然に叫んでいたりすると思う。
そう、これ。これなんです。
これが「exclamation」。
これが僕ら爆団の持つ「爆」。
クラシカル音楽にだってクールなリフや最高のキメは沢山あって、僕はコンサートホールでそれに出会うといつも立ち上がって叫びたくなるのを堪えている。
声にならない声が表情に伝染して口が大きく開いて手で覆って誤魔化したり、涙が出たり。結局狭いシートの中で身体は揺れているんだけれどね。
Photo by Yukino Komatsu
東京ピアノ爆団のリサイタルではピアニスト達が創り上げるそんなモーメントを自由に堪能してもらいたい。
「ヤバい今のハーモニー超エモい」って思ったら「いえーい!」と叫び、「このビート感たまらない!」って感じたら思うように立ち上がって体を揺らせばいいと思う。
音楽から受け取った感情を抑えるなんて僕らが作る空間では一切必要無いから。音楽は元々はひたすらに自由なんだから。
19世紀の欧州は今よりずっと自由だった。フランツ・リストのリサイタルでは若い女性ファンが何人も失神し、ベートーヴェンの第九の初演では第2楽章の冒頭では歓声が上がりすぎて一時演奏が聴こえなくなった。
時に泣ける程に感傷的で、時に炎よりも熱い情熱がほとばしる、振れ幅の大きい感情豊かな音楽をしかめっ面で無動で聴く必要なんて何処にも無かったんだよ。受け取る僕らだって感情豊かに受け取っていいんだよ。
でも、僕らの感動の爆発が音の世界を妨げることが無いように爆団ではスピーカーを使う。皆んなが自由に楽しく踊れる音量でピアノの音が僕らの元に降ってくるように。
その降ってくる音と僕らの感情が触れ合って起こる化学反応を楽しむリサイタルが、東京ピアノ爆団のピアノリサイタル。ピアノが爆音で叫ぶんじゃない、ピアノに触れたあなたの心が叫ぶんだ。
Photo by Jumina Ito
それが、「東京ピアノ爆団」という名前に僕が込めた想いです。
きっと僕ら爆団は、「東京ピアノ感動の爆発起爆軍団」という事になるのかな。
因みに当爆団のピアニスト、三好駿はfacebookで「爆団の爆とはつまり愛である!!(要約)」との持論を展開していて、それもまた面白いので是非読んで見てほしい。https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1638906526125105&id=100000173211157
色々と理論立てて語ってみたけれど、結局のところ十人十色ならぬ、十人十爆なんだ。それでいいんだ。
爆ぜるという現象は詰まるところ化学反応によって物質が変容するってこと。
人それぞれ爆の解釈が変容していっても良いんだと思う。
無理矢理な当てつけかも知れないけれど、リサイタルに遊びにきてくれた貴方や貴女が、貴方の、そして貴女の思う「爆」の解釈を見つけてくれたらそれでいいんじゃないかなあ、と思っています。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。
東京「ピアノ」爆団
東京ピアノ爆団への思いを書き殴る記事の第二編。
「ピアノ」
もしも世界で音楽家って存在があなた一人しかいなくなって、これからあなたが好きな楽器をひとつだけ選び、それを弾き続けるとしよう。
そうしたらあなたはどの楽器を選ぶ?
僕だったら、間違いなくピアノを選ぶ。
楽器の王様とも言われたりするこの楽器。
その由縁は色々とあるけれど、確かに1人で演奏する上でここまで奏者個人を表現できる楽器は他に無いと思う。
壮大でドラマチックな物語もロマンチックな詩も、語りたいことは基本的に全て表現出来る。それも、1人で。
Photo by Kotaro Yamamoto
このピアノの音の世界は他者の存在を許さない、まさに奏者がひとりで作り上げる世界で、その等身大な音楽に混じる人間臭さが僕は好きなのかもしれない。
勿論バンドやオーケストラや合唱も僕らにリアリティのあるエモーショナルな音の世界をいつも魅せてくれていて、もはや聴いている自分なんて小さな存在を忘れそうになったりもするけれど、それは演者側の複数人がその世界のパーツとなって作りあげる世界で、音に付随する人情とか、人間臭さみたいなものはあまり感じない。
オーケストラみたいな複数人の数えきれない感情が混ざり合った世界の色彩も物語も僕は好きだし、その世界が僕の専門であったりもするんだけどね。でもそればっかりが続くのはまるで、ずっと人混みの中で色んな人の話を聞いているみたいで聴く側もそれなりにエネルギーが必要なんだ。
その騒がしい世界に疲れて何も聴きたくなくなって、無音の部屋でベッドに寝転がったままでいる日もある。
でもそんな精神状態でも誰か1人が紡ぎだす別世界に心を浸したくなるような夜も確かにあって、時にはピアニストが静かに語る物語に微睡みの中で耳を傾け、時には彼の心に燃える炎で暖をとり、時には共に光を追いかけてみたくなるんだ。
ピアニストが大爆音でピアノを鳴り響かせるライブハウスは、まるでピアニストが作り出す別世界を増幅させたような異空間。その日そこに集まった人達はそれぞれにピアニストが作るその別世界に思いを馳せ、そして共有する。
Photo by Kotaro Yamamoto
例えば、夏の草原に誰かと寝転がって同じ星空を眺める時に湧き上がる微笑みのように、冬のコタツで大勢で鍋をつついて幸せを感じるように、ピアノが奏でる音の世界も誰かと一緒に共有出来たら、その幸せや感動もきっと増幅されてあなたの中に響いてくるのかもしれない。
それにこの日はタイプのまるで違うピアニストが3人出るからね、一夜で三つの世界を体験できる、きっと美味しい夜になると思う。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。
「東京」ピアノ爆団
3度に渡って書いていく「東京ピアノ爆団」についての記事の第1篇「東京」。
東京に限らずデカい街が僕は好きだ。
そこに住む人の数だけ文化があり物語があり、そしてその数だけの舞台がある。でも街はずっと地続きだから舞台の境界線はリンクしている。文化と文化の境界は次第に溶けあって、また面白い何かがそこから生まれてひとつの舞台を作る。そんな空間が溶け合って生まれるパワーこそ大都市の魅力のひとつだと思っている。
「東京」でピアノ爆団をやる理由も、この大都市の可能性に賭ける思いから来ているんだと思う。
・人と音楽をより近づける為に
・音楽の楽しみ方を広げる為に
・何より気持ちいい響きの為に
「ライブハウスでのピアノリサイタル」
こんなキャッチコピーと共に東京ピアノ爆団を立ち上げて今年で2年目。昨年2月の旗揚げ公演の1stリサイタルも今回と同じ吉祥寺はスターパインズカフェでの公演だった。大爆音で鳴り響く渾身のスクリャービンやドビュッシー、プロコフィエフを、ミラーボールが回る中で100人を越す老若男女のお客さん達と3人のピアニストが共有した。誰もが自然体でお酒を口にしながら音楽と共に揺れていた。
変にオシャレして眠気と闘いながら一音たりとも聴き逃すまいと臨戦態勢で臨む人は誰もいなくて、ただ僕らが鳴らす音を認めて受け入れてくれた。
これを東京でやる事に意味があるんだ。
輸入されてきた高級趣向の文化っていうのは難しい。本質より先に形式が邪魔をする。本場と呼ばれる欧州ではお国の文化だから勿論根付いているし、変なプライドも嫌悪感も無い。日本では敷居の高さや貴族的なイメージが先に来てしまうから、ちょっと興味を持ってる音楽ファンも「何から手をつけていいか分からない」状態になってしまう。
それを取っ払わないとこの国に俺の大好きな最高にクールで激エモなクラシック音楽の未来は無ぇ!!!って高校生だった蒼生少年は既に薄々思っていたんだよね。
そんな、ツンツンに髪の毛を重力に逆らわせ、「オレ指揮者になっからぁ」ってチャラそうに中指突っ立ててほざいてた蒼生少年は20歳を越えた青年になり、遂にその問題意識を行動に移し、ここ東京でそれを始めた訳だ。
様々な文化がリンクして新しい何かが日々生まれている東京。そこにやって来てまだ馴染めていない高飛車に見えちゃっている転校生のクラシック音楽ちゃん。実は喋ってみたら最高に面白いし、クールで楽しい奴だって事を証明する為に、僕は東京ピアノ爆団を作ったんだと思う。
その僕はピアニストではないのでDJをやるのだけれど、ステージでバカみたいに頭振って皆んなの笑い者になっても、この音楽を楽しんでくれる人が増えるのなら、誰かがこの音楽を知る入口になれるのなら、
俺は死ぬまでこの道化を演じ続けると思う。
この文化の新しい楽しみ方を発信するのはやっぱりこの街、東京がいいんだ。
東京ピアノ爆団2ndリサイタル
2017年2月9日 at スターパインズカフェ
詳細は公式Twitter @piano_bombs まで。